局所的に生きている

 最近人との関わりが少ない。1人でいるのは好きなので不満はない。あまりに長く人と関わらない期間が続くと無性に人に会いたくなることもあるのだが、少し前に週1で友人とゆるい感じの勉強会を始めてからは特にそういうこともなく、精神的に安定している。ただこう1人でいることが多いと、自分がどういう人間かについての認識が薄まるようだ。
 今日人と会議のような形で話す機会があったのだが、気に障ることがあったときにかっとなって相手にとって不快であろう言葉を吐いてしまった。今思い返しても相手に多少の非はあると思うが、避けるべき振舞いだった。相手への謝罪の念と自己嫌悪を感じる一方、そういえば僕はこういう振舞いをする人間だったなというある種納得するような感覚もある。そう僕は腹が立つと突発的に攻撃的なことを言ってしまったり、テンションが上がると思慮の浅いことを言ってしまったりするのだった。忘れていた。
 こういう振舞いは意識によってかなりの程度制御できることは経験的に知っている。しかしそれには知識として自分の性向を理解するだけでは足りず、自分の発言しようとする内容に咄嗟にストップをかけるための瞬発力が要る。そしてこの瞬発力は日頃から意識していないとすぐに衰えてしまう。
 僕の現状の生活ではこの瞬発力を維持するのは難しい。僕個人の自己嫌悪で済むのであればいいが、他人にも迷惑をかけるものであるからこの際どうにかしてしまいたい。で、対策法を考えたところ1つ思いついた。それは何か標語みたいに覚えやすい形に成型した自戒の言葉を常日頃から唱えて忘れないようにするというものだ。安易であるとは思うが悪くない気がする。肝心の標語をどうするかだが、今この眠い頭で深く考える気もないのでさっき思いついたのを記しておく。それは「攻撃性に気をつけろ」というものだ。これは「自分の攻撃性に気をつけろ」という意味合いなのだが「自分の」がつくと据わりが悪いので省いた。こんな抽象的な言葉では自分の攻撃性を実感をもって思い出すのは難しいような気もするが、しばらくの間はこの言葉と共に今日の自分の振舞いを苦々しく思い出すから効果はあるだろう。理想としてはしばらくどころでなく今後二度と過ちを繰り返さないことだが、時間が経てば経験は薄れてしまうから多分無理だ。結局僕は繰り返すと思うのだが、この標語がせめてその頻度を低くすることにつながってほしい。