マキハラ現象

 僕の中で槇原現象(マキハラげんしょう)と呼んでいる現象がある。
 どんな現象かというと「過去に自分が外部から見聞きした内容を、それを見聞きしたということを忘れ、その後思考しているときにその内容が頭に浮かんだ際に自分で思いついたと思ってしまう現象」のことだ。すこし分かりにくい言い回しになったが、大きくは「自分で思いついたと思ったが、実は何かの受け売りだった」という現象の事だ。槇原現象の槇原とは歌手の槇原敬之のことで、この現象の名を冠している理由は過去にあったある事件における槇原敬之の発言による。

 「事件」というのは、槇原敬之がケミストリーに提供した『約束の場所』という曲の歌詞の一部が、漫画『銀河鉄道999』にあらわれるフレーズに酷似していると松本零士が主張し、盗作か否かで裁判沙汰になったことだ。この騒ぎについては次のWikipediaの「松本零士」のページの「銀河鉄道999裁判」の項目に大体まとまっている。

松本零士 - Wikipedia

また、次のリンクは実際の裁判の記録だ。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20090106182202.pdf

 この騒動があったとき僕は恐らく中学生だったと思うが、当時ニュースでなかなかに大きく取り上げられていた。それほど熱心にこの事件の推移を見ていたわけでは無いので細かなことはあまり覚えていないが、槇原敬之が「自分で考えたつもりだったが、無意識のうちに真似をしてしまったかもしれない」という旨のことを言ったという報道があったと記憶している。
 しかし、改めて調べてみると槇原敬之本人は一貫して『銀河鉄道999』からの影響を否定していて、報道で僕が聞いた件の発言は松本零士による槇原敬之の発言の引用という形で述べられたもの(つまり、松本零士が「槇原敬之が『~~~』と言っていた」という形で述べたもの)のようだ。
 それはともかくとして、当時そのような報道を聞いた僕は槇原の発言(正確には松本による槇原の発言の引用)に対し、「そういうことはあるよな」という感慨を抱いた。そしてそれ以降、「自分で考えたつもりだったが、無意識のうちに真似をしてしまっていた」事態や「自分で考えたつもりだが、もしかしたら他人の受け売りかもしれないという不安を抱える」事態に遭遇するたびにこの事件を思い出し、気づけばこれらの事態を「槇原現象」もしくは「槇原敬之現象」と呼ぶようになった。

 先週「槇原現象」の命名の由来を意識させられる経験があった。先週僕は「なか卯」で昼食をとったのだが、その時店内に『約束の場所』がかかっていた。僕は驚いた。『約束の場所』は上記のような騒ぎがあり、なんとなくケチのついた曲だという印象を持っていた。しかも当時売れていたとは思うが、爆発的に売れたという訳でもないはずだ。10年以上も前の曲であるし、同程度以上の認知度の曲などいくらでもある。その数多ある選択肢の中から、この曲が選び出されたというのは大きな驚きだった。

 今回改めて騒動の事を調べたことで槇原敬之が実際に「自分で考えたつもりだったが、無意識のうちに真似をしてしまったかもしれない」的なことを言ったかどうかは不明であり、槇原本人はそのことを否定していることがわかった。このことを考慮すると「槇原現象」という名は槇原敬之にとって失礼なものだという気がする。やはり改めるべきだろう。とはいえ一度自分の中で定着してしまった名称を変えるというのは難しい。代わりになる良い名称があればそっちを意識的に使っていくうちに次第に変えられるかもしれないが、そのような良い案もない。ひとまずは心内で「槇原現象」と呼ぶのは良しとして、口に出すのは控えようと思う。