ドストエフスキー『地下室の手記』を読んだ

 はてなブログのトップに「やっぱりドストエフスキー読もうぜ!」という記事がピックアップされており、その中で『地下室の手記』が推されていた。
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 過去に知人がこの本の読書会をしたという話を聞いたことがあり、気になっていたが読んでいなかった。再びこの本のことを聞いたことだし読んでみるかと思い読んだ。新潮文庫江川卓訳を読んだ。感想を記す。

 第1部を読んでいる途中で少し疲れを感じたものの、第2部に入ってからは読みやすくなり最後まで退屈せずに読むことができた。しかし、読みおえて振り返ってみれば、この本はただ退屈でないだけの本だった。
 第1部の内容はありきたりだ。根源的な原因が分からないからどうしていいか分からないとか、復讐しても自分が余計に苦しくなるだけだとわかって辛いだとか書いてある。確かにそうだとは思うが、別に言語化するのが難しくもないようなことが改めて書いてあるだけだ。敢えて合理性から逸脱した行為をすることが快感なのだという主張には少し興味を惹かれたが、その主張も別に説得力がある訳でもなく「私はこう思う」レベルの事が書いてあるだけで、そうですかという気になった。否定的なことばかり書いたが僕は第2部よりも第1部の方が好きだ。第1部の文章は内容は湿っぽいが調子がいいし皮肉も効いていて面白いからだ。
 第2部は第1部よりもよっぽど感情を動かされる。しかし、それはただ主人公が醜悪な振舞いをするから読んでいて不快になるというだけの話で、それは胸糞悪いニュースを聞いて気分が悪くなるのと一緒で大したことでは無い。そして、その主人公の振舞いというのも人格の設定を与えられた主人公が状況に応じて設定どおりの振舞いをするという機械的なものに映った。他の登場人物も物語に必要な範囲だけ作られているような薄っぺらさを感じさせるものだった。物語は登場人物同士で設定の範囲内での応酬ををすることに終始し、心情に全く奥行きを感じさせない。文章がうまく、ページ数が少ないため読み切ることはできる。もっと長ければ辟易していただろう。第2部に対しても否定的なことしか書いていないが、1つ気に入ったシーンもある。それは、そりに乗った主人公が馭者を何度も急かすのだが、どんどんヒートアップして終いには、

「これは前世の因縁みたいなもんだ、宿命なんだ!とばせ、とばせ、あそこだ!」
心のはやるまま、ぼくは拳固で馭者の首筋をなぐりつけた。

となる場面だ。物語上重要な場面でもないが、テンションの高さが伝わって来るようで好きだ。