伊藤清三『ルベーグ積分入門』の難点とその解消

 ルベーグ積分の入門書として裳華房から出版されている伊藤清三の『ルベーグ積分入門』は非常に有名だ。

ルベーグ積分入門 (数学選書 (4))

ルベーグ積分入門 (数学選書 (4))

 初版は1963年とあるから50年以上も前の本だが、今でも測度論とルベーグ積分の入門書として広く読まれているように思う。グーグルで「ルベーグ積分 入門書」「測度論 入門書」と検索すると、どちらの場合も伊藤の本がトップ3以内に現れる。大学の講義でテキストや参考書に指定されることも多いだろう。僕も過去に4章までではあるが詳しく読んだ。
 これほど有名な伊藤の本だが難点もある。批判はネット上を軽く見たところでもいくつかある(例えばAmazonレビュー)が、その内容は「扱いが古い」「構成がよくない」などに留まり、具体的にどこが良くないのかを指摘した文章は意外なことに見つけられない。そこで、この文章では伊藤の本の難点とその解決案を記す。


 難点とは「直積測度の構成が力技」だということだ。ここでいう力技というのは、応用が利かず、とにかく結果を導くことだけを優先した論法という意味だ。伊藤の本での直積測度の構成を軽くまとめておく。
 \sigma有限測度空間 (X,\mathcal{F },\mu), (Y,\mathcal{G },\eta)に対し、 K = A \times B \ \ (A \in \mathcal{F } , B \in \mathcal{G })の形の集合を矩形集合といい、互いに交わりの無い矩形集合の有限個の和集合からなる X \times Y上の有限加法族を\mathcal{H}とする。
 \mathcal{H}上に m(A \times B) = \mu(A)\eta(B)を満たす有限加法的測度を定める。 m \mathcal{H}を含む最小の \sigma加法族 \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }上の測度に拡張したいという話である。伊藤の本ではすでに示してあるE.ホップの拡張定理とその系から、 \mathcal{H}の減少列 \{A_n\}_nで極限が空集合となるようなものに関して、 \{m(A_n)\}_n 0に収束することを示すことにほぼ帰着される。そして、この事実を各 A_nをわかりやすい形に書き直して示すという方針になっているが、この書き直す過程が非常に力技だ。
 このような力技を使わざるを得ない状況に陥った原因は、測度論と積分論を分離したことにあるように思える。伊藤の本の章立ては以下のようになっている。各章の詳しい内容は裳華房のページを参照。
<書籍紹介> ルベーグ積分入門(伊藤清三 著)
1 予備概念
2 測度
3 可測函数積分
4 加法的集合函数
5 函数空間
6 Fourier級数, Fourier解析
付録 Euclid空間における点集合論

章立てからわかるように、測度論と積分論は分離されている。このため、2章では積分は全く用いられない。実は3章のFubiniの定理の証明と類似の方法で直積測度を構成することができる(後述する)。それには積分を用いる。そのため、測度論と積分論の分離にこだわる限り力技を用いざるを得ない。しかし、測度論と積分論を分離することに少しでもメリットがあるのだろうか。あるのならば力技を用いることもやむを得ないかもしれないが僕には見当がつかない。そのため、ただ難点としてのみ目に映る。
 解決案に移る。解決案というのは、このように読めば難点を回避できるという読み方の案だ。可測性と積分を定義するのに直積測度は不要なので、一旦、直積測度の構成は飛ばし、3章に入り、Fubiniの定理の直前まで進む。以下の議論では、伊藤の本に現れる単調族定理を用いても同様の議論ができるが、Dynkin族定理を用いた方が記述が短くなるため、Dynkin族定理を用いる。(参照:ディンキン族 - Wikipedia)Dynkin族定理の証明は単調族定理と同じように地道にやればできる。証明は面倒なので省略。

まず、次の補題を示す。
補題
 \sigma有限測度空間 (X,\mathcal{F },\mu),可測空間 (Y,\mathcal{G }), 非負可測関数 f : X \times Y \rightarrow \mathbb{R_+ }とするとき、次が成立。
1.任意の y \in Yに対し、 f(x,y) xの関数として \mathcal{F }-可測。
2. \int_X{f(x,y)\mu(dx)} \mathcal{G }-可測。

証明の概略
1. \mu \sigma有限より、有限測度空間として示せば十分。 fが矩形集合の定義関数のときは明らか。矩形集合全体は \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }を生成する \pi - systemをなす。 1_{A}(x,y) xの関数として \mathcal{F }-可測となるような A \in \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }全体は \lambda - systemをなす。よって、Dynkin族定理より f 1_{A} \ (A \in \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G })のときは成立。一般の fに対しては、単関数近似すれば良い。

2. \mu \sigma有限より、有限測度空間として示せば十分。1.より f xの関数として \mathcal{F }-可測なので、 \int_X{f(x,y)\mu(dx)}を考えることができる。 fが矩形集合の定義関数のとき主張は明らか。 \int_X{1_{A}(x,y)\mu(dx)} \mathcal{G }-可測となるような A \in \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }全体は \lambda - systemをなす。よって、Dynkin族定理より f 1_{A} \ (A \in \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G })のときは成立。一般の fに対しては、単関数近似を考えれば単調収束定理よりわかる。■

この補題を用いて次の定理を示す。

定理
 \sigma有限測度空間 (X,\mathcal{F },\mu), (Y,\mathcal{G },\eta)に対し、
 {\displaystyle
\mu \otimes \eta(A \times B) = \mu(A)\eta(B), \ \ (A \in \mathcal{F } , B \in \mathcal{G })
}
を満たす (X \times Y,\mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G })上の \sigma有限測度 \mu \otimes \etaが一意的に存在する。
さらに、非負可測関数 f : X \times Y \rightarrow \mathbb{R_+ }に対し、
 {\displaystyle
\int_{X \times Y}{f(x,y) \mu \otimes \eta (dx \otimes dy)} = \int_X{\mu (dx)\int_Y{f(x,y) \eta (dy)}} = \int_Y{\eta (dy)\int_X{f(x,y) \mu (dx)}}
}
が成立。
証明の概略
 C \in \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }に対し、補題より、 \mu \otimes \eta (C) = \int_X{\mu (dx)\int_Y{1_{C}(x,y) \eta (dy)}} と定義できる。単調収束定理より \mu \otimes \eta は測度となる。
この測度が \mu \otimes \eta(A \times B) = \mu(A)\eta(B), \ \ (A \in \mathcal{F } , B \in \mathcal{G })を満たすのは明らか。よって、存在は示せた。次に一意性を示す。 \mu \otimes \eta の定義で積分の順序を入れ替えた測度を \phi と置くと、 \phi (A \times B) = \mu(A)\eta(B)を満たす。 \mu \otimes \eta \phiが一致することを示す。(以下ではDynkin族定理を用いて示すがE.ホップの拡張定理を用いてもよい。) X, Y \sigma 有限より、
 X_1 \subset X_2 \subset \cdots , \bigcup X_i = X ,\mu (X_i) < \infty,
 Y_1 \subset Y_2 \subset \cdots , \bigcup Y_i = Y ,\eta (Y_i) < \inftyなるものがとれる。 Z_i = X_i \times Y_i とすると、 \mu \otimes \eta(Z_i) = \phi (Z_i) < \infty 。よって、各 Z_i上で2つの測度が一致することを言えばよい。つまり、有限測度空間として示せばよい。2つの測度が一致するような \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }の元全体は \lambda - systemをなす。矩形集合上で2つの測度は一致するのでDynkin族定理より \mathcal{F } \bigotimes \mathcal{G }上で測度は一致する。後半の主張は単関数近似すれば、直積測度の構成から明らか。■

 このように、積分とDynkin族定理を用いることで容易に直積測度を定義することができ、そのままFubiniの定理を示すこともできる。また、Dynkin族定理を用いて可測性や測度の一致を示す論法は測度論で非常に基本的であり、入門書の内容としても適しているように思う。以上が解決案。