フランケンシュタインを読む1

 光文社古典新訳文庫の小林章夫訳『フランケンシュタイン』と中公新書の廣野由美子『批評理論入門』を読んだ。前者は8日の深夜から朝にかけて読み、後者は9日の昼頃から読んだ。どちらも読み通しただけであり、内容がまだあまり頭に入っていないような気がするので、後者の本に沿って読みなおしていくこととする。項目ごとに要約とそれに対する意見という流れでまとめることとする。

 

 第1章は「小説技法篇」である。この章では小説の時間の進み方や語り手など形式的な側面について論じる部分である。

 

第1項目「冒頭」

 『フランケンシュタイン』は北極探検に向かうウォルトンから姉への手紙という形で始まる。続けて3通の計4通の手紙が記され、その後第1章が始まる。いきなり1章から始めるのではなく、手紙から始めることは、物語の設定(登場人物の名前・正確、時、場所など)を頭に入れる準備期間を設けることとなり、読者の負担を軽くしたり、読者がその後の展開に関して抱く可能性のある疑問を先回りして潰したりすることができる。

 

 冒頭についての議論は第2項目の「ストーリーとプロット」に含まれるものだと思う。プロットによる効果の具体例として扱う方が自然だと感じる。

 確かに、いきなりヴィクターの語りから始めてしまったのでは、ヴィクターが語っていることは想像されるけれども、どのような状況下で語っているのかはわからない。晩年に自分の人生を回想しているのかもしれない。しかし、手紙のおかげでどのような状況であるのかを把握することが可能になっている。また、怪物の作り方の説明を回避する理由をここで提示することができている。

 

第2項目「ストーリーとプロット」

 ストーリー・・・出来事を時間順に並べたもの

 プロット・・・物語の語られる順に出来事を並べたもの

 プロットは出来事の因果関係に重点をおいて作られる。例えば、2人の人間が同じ時間軸で行動しているときに時間の区切りごとにそれぞれの行動を記すのではなく、片方ずつをまとめて記すといった感じである。

 プロットはいつも因果関係を考慮して作られるとは限らず、謎やサスペンスを生む装置としても使われる。例えば、ウィリアムの殺害からジャスティ―ヌの処刑までの流れは怪物の仕業によるものかが読者にとって確定しない状態が続くので、それによって謎が生まれ、緊張が保たれたまま物語を進めることができる。

  

 プロットは因果関係のある出来事をひとまとめにして物語を整然とさせることもできるし、特殊な効果を生み出すことができるというのは当然といえば当然だが感心した。物語が提示されたとき、それが時系列に並んでいない場合にそれによってどのような効果が生まれているか常に注視すべきだろう。