数学を学ぶモチベーション

1つ前の記事で、ここ1,2年で数学への関心が薄れてしまった。と書いた。改めて考えてみると、薄れてしまったというのは不正確だったように思う。というのは、元々明確な形で関心を持っていたわけではなかったように思うからだ。でも、数学を勉強していた。講義にも出ていたし、テキストを自分で読んだりもしていた。もちろん今でもテキストは読んでいるが。しかし、費やす時間は明らかに減っている。だから、問うべきなのは、「何故、今数学に熱中できないのか?もしくは、何故過去にはより勉強できたのか?」ということだろう。まず、「何故過去にはより勉強ができたのか」について考える。1回生の時には線型代数微積を学んだ。線型代数ではいろいろな概念を取り入れながら、様々な結果の証明を読んだ。結果として、連立1次方程式は解けるようになったし、行列のジョルダン標準形を求めることもできるようになった。これらは確かに価値あることだと今でも思う。線型代数の本を一冊読み終わったら、次は群とか可換環とか加群を学ぼうと思った。微積が大体わかったら次はルベーグ積分を学んだ。でも、ここに自分のモチベーションはあまりなかった。なんとなくこれの次はこれを学ぶことになっている。みたいな空気に従ったに過ぎない。こんな風に次々とサーブされる理論を受け取って消化するという運動しかしてこなかったのだ。つまり、「何故過去にはより勉強ができたのか」という問いの答えは、この運動に特に疑問を感じてこなかったというものになる。しかし、この運動をいつまでも続けるのは危険であると認識するようになった。何故なら、この運動は自分が何かを知りたいというモチベーションが無くても続けることができてしまうからだ。僕はこの運動を続けていって得ることができるのは既に人によって築かれた理論をフォローする力だけだろうと思うし、そもそもこの運動を続けていくことに嫌気がさしたのだ。何故なら、そこにモチベーションがないのだから。だから「何故今数学に熱中できないのか」という問いの答えは、学び取りたい目標がないからというものになる。もちろん、自分の知りたい目標を設定するのにさえ知識は必要であるから、ある程度までこの運動は必要だろう。しかし、どこかで自らの目標を設定しなくてはならない。これまで僕は次々と提示される教程の中から面白そうなものを選んで学ぶという事をしてきたと思う。しかし、いつかは目標を設定し、教程を利用するにしても目標を達成するためのステップとして利用するようでなくてはならないだろう。ここにきて、明快な方針が立てられたような気がする。それは次のようである。

 

自分の今持っている知識で理解したい対象が存在するならばそれを理解するために必要な知識を仕入れながら進めばよい。もし、理解したい対象を見つけられないのなら、とりあえず、基本的と思われる対象を学び、目標を立てる助けとする。

 

こんな風に大げさに書くことでもない結論となった。しかし、記述することを通して僕は考えを整理し、一応の結論を得ることができた。つまり、僕にとってこの文章を書くことは意味があった。読む人にとって意味があるかは別として。しかし、当然次に来る問いとして、今、自分に理解したい対象があるか、ないとすれば、なにを学ぶかというものだろう。これはまた次に考える。