マレーシア記 1日目

 現地時間4時頃到着。入国手続きを済ませ到着ゲートを抜けると隣接するショッピングモールへと出た。まだ早朝のためほぼすべてのテナントは閉まっている。歩き回っているとファミリーマートを見つける。現地産っぽい商品もあるものの日本で見るような商品も沢山あり、中にはパッケージが日本語のもの、つまり日本用の商品がそのまま売られているものもあった。一度買い物の感じをつかんでおこうと飲み物を買うことにした。日本には無いものをと菊花茶と書かれたのを選んだ。買い物の手順は日本とまったく同様で何事もなく済んだ。味は蜂蜜の香りがする甘い水という感じ。不味くはないが甘さが強いので一度に一口しか飲めない。パッケージを読むと原材料は菊の花、リコリスの抽出物、砂糖という感じで蜂蜜のような風味は菊の花に由来するのだろうか。
 時間をつぶす場所もないためさっさと都市部へと移動することにする。KLIAエクスプレスに乗ってKLセントラルへと向かう。電車の待ち時間+乗車時間を使って、宿泊先の確保と今日の予定を立てることにする。今日はクアラルンプール周辺を見ることにし、とりあえずはチャイナタウンとチョウキットへ行くことにした。次は宿泊先を探す。前日の段階でAirbnbで宿を検索してみたところ選択肢が沢山あり焦ることはないと思い放っておいたが、今見たら高めの宿しか残っていない。失敗した。宿探しの方法としては他にエクスペディアを考えていたが、今日から明日にかけての宿泊の検索ができない。後になって気づいたことだが僕はこのとき日付を一日前と勘違いしていて昨日から今日にかけての宿泊先を検索しようとしており、それは当然できなかった。しかし初めて使うこともあり、それをもってエクスペディアでは当日の予約はできないのだと判断してしまった。他の宿検索サイトはないかと調べてみたところagodaというのが東南アジアでは強いとのことだった。早速使ってみると安くて良さそうなところが見つかり、すぐに予約を取る。しかし予約確定のメールをよく見ると予約が明後日から明々後日の宿泊になっている。しかもキャンセルはできないとのこと。前日の予約だから仕方ないか。確かに今晩の宿泊で検索したはずだと思い改めてagodaで日付を設定し検索すると、検索結果は明後日のものが出ている。自分の操作ミスを疑いもう一度設定し直して調べるとやはり明後日の結果が出る。そして「過去の日付が指定されていたので変更した結果を表示しています」的な注意書きが現れた。もちろんここでも僕は日付を勘違いしており過去の日付を指定して検索していた。しかし過去の日付を入れると自動で明日から明後日にかけての宿泊の結果を表示するというのも設計としてどうなのかという気もする。ともかく明後日に予約をしてしまったし今日の予約は取れてない。明日はマラッカに行く予定なので恐らくこの予約は無駄になる。金額としては数百円程度の損失だが惜しいことをした。とりあえずガイドブックに載っているゲストハウスに直接訪問し、泊まれるかを尋ねることにした。
 KLセントラルに着いたのは5時過ぎで外はまだ暗い。安全そうなら少しぶらつこうと外に出て見ると駅を出てすぐのところには多数のタクシーが待機しているものの一つ角を曲がるともう人気がほとんどない。これはもしかすると危険かもしれないと感じて引き返す。電車でクアラルンプール駅まで行くことにした。券売機で行き先を指定しお金を入れるとプラスチックのコインが出てくる。これが切符の役割を果たすらしい。早速改札に入りホームへ向かう。ホームの電光掲示板を見ると次の電車は7時前。まだ1時間以上ある。次の電車の時間を調べてから改札をくぐるべきだった。入ってしまった以上待つしかないのでベンチに座り旅程を立てて時間をつぶした。

 時刻表より数分遅れて電車は着きクアラルンプール駅まで行った。歩いてチャイナタウンを目指す。クアラルンプールは最寄駅ではないが街の雰囲気を知りたかったのでそうした。道は歩きにくい部分が多々あり、補修中でガタガタになっている歩道や道路脇にある排水溝の対岸の狭いスペースを歩く必要があった。朝の通勤時間帯らしく、朝食を販売する人々が所々にいた。通路の脇に長机を置き、その上にいくつかの料理を並べて販売している。それらの人の一部は料理の上ではたきをパタパタと振り、絶えず寄ってくるハエを追い払っていた。中には美味しそうなものもいくらかあったが、ここで買うのはまだハードルが高く、見送った。
 いよいよチャイナタウンへと近づき大きな門が見えてくる。歩道橋を通って門の目前の大きな通りを横切る。歩道橋の上には人が寝ておりうっすらと小便の臭いがする。ヤバい人かもしれないので起こしてしまわないように静かに横切る。歩道橋を降りチャイナタウンのメインストリートらしい華やかな門をくぐる。
 ガイドブックの印象から観光地めいた場所をイメージしていたが、はじめに感じたのは恐怖だった。時間が早かったのもあるかもしれないが、通りの両岸の建物はほとんど戸が閉まっていた。戸は黒ずんでいる。道のわきには木製の屋台が並んでいるが何の装飾も表示もない。これも黒ずんでいる。頭に荒廃、世紀末という言葉が浮かんだ。これは大丈夫だろうかと不安になったがともかく警戒しながら進む。ときおり屋台の上に人が上半身裸で寝ている。鶏もうろついている。行くうちにいくつか開いている飲食店を見つけた。どれかに入ろうと思うが踏ん切りがつかないまま通りの端まで来てしまった。通り過ぎてどうするんだと自問し、来た道を戻りつつ入れそうな店を探すがやはりどこにも入れないまま再び通りの端まで来てしまった。これでは来た意味がないので再び通りへと行こうと思うが、この観光客然とした見た目で何度も往復していては不慣れな感じ丸出しで危険なのかもしれないと思い、少し回り道をして別ルートから再び通りへと向かう。
 回り道をしていると路上でフリーマーケットのようなものに遭遇した。チープなアクセサリや民芸品めいたもの、腕時計、スマホなど雑多なものが売っている。何ともうさん臭く、しかも時折強烈な悪臭がある。足早に通り過ぎた。やはりヤバい場所なんじゃないかという気持ちが強まる。通りへと戻り意を決してある店へと入った。注文をするカウンターのような場所があったのでそこへ行き、ここで注文するのかと尋ねると、そうだと言って注文できるメニューを教えてくれたので適当に1つ注文した。確か猪肉粉という名前の料理で弾力のある肉混じりの団子と米粉の麺が温かいスープに浸かっており素朴な味だが美味い。食べていると最初とは別の店員がやってきて飲み物はいるかと聞いてくるのでライムジュースを注文する。運ばれてきたライムジュースは氷入りで水、氷には気を付ける必要があると聞いていたのでしまったなと感じ、少しだけ飲んだ。
 食事を終えて店を出るとさっきまでのような恐怖はほとんど無くなった。1つ店に入って食事をしただけでそれ以上のことは全くないのだけれども店に入り、注文し、食べるという一通りの流れを実際にやってみることで自分がこの場所においてよそ者であることは間違いないのだけれども、よそ者としてちゃんと存在しうる、許容されるということを実感できた。
 今度は最初より落ち着いて通りを歩いていると金魚すくいで捕った金魚をいれるようなビニール袋に茶色い液体を入れてぶら下げている人を何人か見た。何が入っているのかと少し凝視すると袋には茶王と記されている。どうやらお茶が袋に入っているらしい。歩いていると茶王と書かれた屋台を見つけたのでお茶を頼んでみた。ミルクが薄めのロイヤルミルクティーという感じで美味しい。店の前のテーブル席に座り飲んでいると隣のテーブル席に座った人がこちらに向って何か言っている。しかし恐らく英語ではなく聞き取れない。ん?というような反応をしていると続けて何かまくし立てる。こっちが何も返答していないのにずっとしゃべり続ける。次第にこれは一人で喋る人ではないかという疑念が浮かび、無視していると、今度は他の人に視点を合わせて喋り続ける。もしかして最初から僕に話しかけていたわけではなく今の彼の視線の先にいる人に話しかけていたのかと思い、彼の視線の先を見るが視点の先にいる人も困惑している様子だった。じきに彼は喋りながら歩き去って行った。周りの人はお茶と一緒に揚げた食パンのようなものを食べておりそれがスタンダードな組み合わせのようだったが、腹が満たされており、また注文のタイミングを逃したのでお茶だけ飲んだ。
 その後しばらくチャイナタウン周辺をぶらぶらしていると再び最初に来た門のあたりへ来た。時間はもう10時を過ぎていたころだろうと思うが、この時間帯になるとチャイナタウンの多くの店が開いていて世紀末感はもう無い。むしろ多少観光地めいた趣さえ感じた。またこの頃には日付を勘違いしていることに気づき、agodaでチャイナタウン付近に宿泊先を確保した。

 次はチョウキットへ向った。電車を乗り継いでいくとすぐに着いた。ガイドブックによればチョウキットのマーケットではフルーツが色々と買えるということだったのでそれを期待して行った。マーケットの場所を調べてすぐにそこへ向かってもよかったがとりあえず散策することにした。チョウキットはクアラルンプール中心部と比べて生活感を強く感じさせる街で、小さな店が立ち並んでいるがそれらは格安SIMの販売店、バイク販売店、どこにでもあるような安物の服を売る店といったような感じで眺めたりふらっと立ち寄って楽しむというには少し難しい。フルーツをカットフルーツのような感じで売っている店はないかと探したところ、果物を売っている店はあったもののそのまま食べられるようなものはなかった。それでも探し続けると果物を絞ってジュースにしてくれる店があった。店を見つけた喜びで早速注文をした。ケースに果物が陳列してあり、そこから好きなフルーツを選ぶとジュースにしてくれるという風になっている。パパイヤやパイナップルなど色々あった中からドラゴンフルーツを選んだ。ドラゴンフルーツは過去に食べたことがあるが、そのときの印象は水を食べているようで味気ないというもの。今回は面目躍如を期待して頼んで見た。店員はドラゴンフルーツの皮をむき適度なサイズに切り分けてミキサーに入れる。そこに水、氷、シロップ的なものを入れてミキサーを回す。少し考えればわかったはずだが、常温のフルーツからジュースを作るのだから、氷を入れることになる。またやってしまった。容易に予想できることだっただけに自分のアホさ加減にうんざりする。腹を壊す訳にはいかないので勿体ないけれども少し飲んで捨てた。味はドラゴンフルーツの味なのか、シロップの味なのかはわからないが変わった風味のある甘い味でそれほど美味しくはなかった。
 時間は昼時。歩き通しで疲れたので少し休もうと近くにあったショッピングモールに入る。7日間歩くことを考えて足を節約していかなくてはならない。モールにはイオンのスーパーが入っており、雰囲気もイオンのショッピングモールという感じ。しかし空きテナントが目立った。半分ぐらいは空いているんじゃないかというぐらい。スーパーでフルーツを見るが切ったりせずに食べられるものやカットフルーツには特に目ぼしいものが見つけられず、結局水とチョコを買った。その後モールのカフェで一杯コーヒーを飲んだあたりで少し回復してきたので、昼食を食べる場所を探しに外へ出た。しばらく行くうちに賑わっている店を見つけしかもインド系の料理らしく好みにも合いそうだったので、その店の列に並ぶ。前に並んでいる人の様子を見るとカウンターのところで注文することとショウケースに並んだ具の中から幾つか選ぶということはわかった。しかし料理名を指定してから具を選ぶのか、もしくは料理自体は固定で具を自由に選べるのかなど詳しいことは分からない。このまま自分の番が来ればもたつくことは必至なように思えた。後ろを見ると既に多くの人が後ろに並んでいる。意を決して後ろに並んでいる夫婦に注文の仕方を尋ねると親切に教えてくれた。チキン、フィッシュ、エッグの中から具を選ぶとのこと。ショウケースのチキン、フィッシュはそのまま鶏、魚を揚げたものであることが見て取れたが、エッグだというものは奇怪な見た目をしていて何かよくわからない。よく見るとタラコの皮の一部が弾けたような見た目をしていて魚卵を揚げたものなのだと理解した。エッグというと鶏卵をイメージしてしまったが確かに魚卵もエッグだ。これで一安心ではあるのだが、ショウケースには他にもオクラ、ゆで卵、真っ黒な四角い板状の何かなど様々な食材が並んでおり時折それらも皿に盛られていた。その辺りの細かいルールは分からなかったがひとまず具を一つ指定すればなんとかなるということがわかったのはかなり大きい。そして自分の番が来たので勢いよく「フィッシュ」と発するが、ん?というような反応。再度言ってみるが伝わらず。結局、店員がトングで具を一種ずつ指すのに対してイエス、ノーを言うことで伝えた。店員はまずライスをプレートに盛りそこにシャバシャバとしたカレーのような液体を3種かける、そしてライスの周りに先ほど指定した具といくつかの野菜が盛られる。
 空いている席に座り食べ始めた。他の人を眺めて何となく分かっていたことだがこの店では手で食べるのがデフォルトのようだった。一部の人はスプーンとフォークで食べていたため言えばもらえるらしいことはわかっていたけれど、ものは試しということで手で食べることにした。手で食べるのは案外難しい。手で掴む分をまとめようとしてもなかなか一つにならないし掴んだのを口に入れるのも難しい。指ごと口の中に入れるのは汚らしいが口の中に放り込もうとすると、一部が口に入らずこぼれ落ちる。苦戦しながら食べていると先程注文の仕方を教えてくれた夫婦が向かいの席に座った。夫の方がしばらく僕の食べるのを眺めたのちに、手に乗せたのを口に入れるときに親指で押し出すと良いと教えてくれた。それを聞いてなるほどと思い彼の食べ方を見てみると、指の先を揃えてその先に米を乗せて口元まで持って行き最後に親指で手に乗せた米を口の中に押し出している。助言通りにやって見ると、これはこれで上達が必要なものではあるが先よりはかなり食べやすくなった。僕は飲み物を頼まなかったのだが彼は白い半透明な飲み物を飲んでいて、バーリだと言う。バーリが何かは分からなかったがそういうものがあるのだろうと適当に納得した。そのうち店員が来て何か飲み物は要らないかと聞いてくるので彼のグラスを指して同じものをほしいと伝えた。店員が持ってきたその飲み物の味は薄甘い水という感じでまあまあ美味しい。底につぶつぶがたまっていてストローで飲むと口に入ってくる。そのつぶつぶも特段味のないもので正体は掴めない。よく見ると米のような粒だった。ここでバーリという名前を改めて思い起こすと、なるほどBarleyのことだなと合点した。底に溜まっているのは恐らく大麦だろう。そしてこの飲み物は大麦の甘酒的なものなのだろうと推測した。*1また彼が言うにはこの料理はインド料理ではなくマレーシアのローカルフードだとのこと。名前はナシ ガラとかそんな感じのことを言っていたと思うが確かではない。

 食後はチャウキットにあるという大きなマーケットを見にいくことにした。適当に歩けば見つかるかと思ったが全然見つからず、地図を見ながら向かうも向きセンサーの調子が悪く何度も頓珍漢な方向へ向かってしまったり、何故か誤った場所にマーケットがあると確信してそこへ向かったりしていると結局2,3時間無駄に歩き回っていた。結局マーケットに着いたのは16時前ぐらいで一部の店舗は店じまいを始めていたがまだまだ活気はあった。 一通り見て回ったのちパック詰めされたドリアン、マンゴスチン、ドラゴンフルーツを買った。宿泊先のチェックインの時間が近づいてきたので宿泊先に向かうことにする。特に何も考えず買ったドリアンだったが噂通り匂いが強い。買った直後にパックを直接嗅いだ際にはそれほど匂いを感じなかったが、リュックへ入れて運ぶうちにリュックから漏れ出すほどの匂いになった。そこで持っていたジップロックの袋に中身を移し二重に覆った。移した後に袋の外から匂いを嗅ぐがほとんど感じない。しかししばらくすると匂いが漏れてきた。これは宿泊先に持ち込めないと判断し道中で食べてしまうことにした。人がたくさんいる場所で食べるのは非常識だと思うので、人気がなくそれでいて安全な場所がないかと探した。そんな都合のいい場所がすぐに見つかるはずもないと思ったが案外すぐに見つかった。そこは川沿いのベンチが断続的に置かれている場所で川にかかる橋を通る人は結構いるが川沿いの通路を歩く人はそれほどいない。しかも川は薄っすらドブ臭くそれがマスキングにもなりそうだ。
 袋を開けて食べる。無茶苦茶美味い。びっくりした。手放しで称賛したい。匂いからも感じるような傷んだ瓜のような風味はある。しかしそれが減点対象にならない。例えば魚であればいくら身が美味くとも生臭ければ食べるのは困難だが、ドリアンの場合は何故か気にならない。この匂いが無ければという願望も生まれない。しかしこれだけ美味かったら人はもっと騒ぐものではないだろうか。確かに果物の王様などと呼ばれてはいるが近しい人でドリアンに関して騒いでいる人を見たことがない。多少鬱陶しい位ドリアンを勧めてくる人間がいてもおかしくはないと思うのだが。ドリアンに対する世間の熱がそうでもないものだから侮っていた。

 無事ドリアンを食べ終えたので宿へ行きチェックインした。一休みしたのち、夕飯をとるためアロー通りの屋台街へと出発した。屋台街はかなり観光地めいた雰囲気で値段も少し高めの印象。一通り見て回りつつ何を食べようかを検討する。3往復ほどした後気になった店に入った。
 ドリアンを食べたのでアルコールを控えようと思ったが他に確実に安全そうな飲み物が無かったのと単にビールが飲みたかったのとでタイガーを頼んだ。食べ物はアカエイにスパイスを塗って焼いたような料理とチキンウイングを頼んだ。先にビールが来て店員がグラスに注ぐ。ビールが一部凍っていたのか過冷却状態だったのか、よくは分からないが注いだビールの上部に微細な氷が浮かんでおりキンキンに冷えている。日中暑かったが今はそれほどでもなく、湿度はあるが風が抜けて心地いい。座っている席はアロー通りの端の方から中心を向く方向で、活気のある場面が眼に映る。
 ビールを口に含むと突き抜けるような爽快感が頭を過ぎ、そのまま冷たさで頭が痛くなる寸前まで一気に飲んだ。ただひたすらに「ビールが美味い」という感覚だけが体を支配した。後から来たアカエイもチキンウイングも滅法美味く、ビールをお代わりして最後までひたすら満足な食事をした。お金はマレーシア基準でいえば結構かかったが。

 宿へと戻り、寝る前にマンゴスチンを食べてみた。基本的には美味いが苦手な風味が混じっている。いくつか食べるうちにそれが耐え難くなり、これは苦手な果物だという結論。

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*1:調べたところ甘さは砂糖によるものらしい

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旅行することにした

 来月に海外旅行をすることにした。

 数年前までは旅行への興味はほとんどなかった。むしろ僕が一部の旅行者に対して持っていたイメージは「離れたところからその土地の人々の生活のほんの一端を眺め、自分の常識との差に逐一驚き、旅行者向けに整備された場所を巡り、実のところ興味があるわけでもない説明書きを熱心に読み、何か大事なことを学んだような気分になれる軽薄な人たち」というものだった。もちろん全ての旅行がこのような軽薄な異文化体験だと思っていたわけではなく、単に心地よい気候の下で過ごす、本場の料理を食べる、きれいな風景・建造物を見るなどといった気負いのないレジャーとしての旅行や、例えば建築に関する知識をいくらか持った人が建築様式の違いを実際に見に行くというような、明確な目的をもった旅行もあることは理解していた。ただこれらの旅行も、家にいるのが好きで特段その手の物に関心のない僕にとっては魅力あるものではなかった。

 旅行に対する印象が変わったのは去年に足摺に旅行に行ってから。この旅行については前にこのブログに書いたが足摺海底館を見るのを目的としたもので、ついでに足摺岬などのいくつかの観光名所を巡った。この旅行で僕がしたのは上の方で軽薄な異文化体験と書いたものと類似の、町を歩いて雰囲気の違いを感じ、丁度開催していた地元の祭りに参加し、観光地を巡る(説明書きは興味あるもの以外は読んでいないが)というもので、これまで内心馬鹿にしてきたものだが、やってみると楽しかった。実際にやってみることで見落としていた意義が見えたとかそういうことはなく、やはり軽薄といえば軽薄な行為なのだがそれはそれとして楽しかった。この件に限らずこれまで何度も反省してきたことだが、改めて自己像がいかに当てにならないものかと感じた。

 で、自分が旅行を楽しめることが分かったのだから色々行ってみようと考え、今回海外へ行くことにした。旅行ビギナーとしては国内にしてもよかったのだが、今の環境との差異がより大きい海外の方が自己像を揺さぶるような経験を多く経験できる気がして海外を選んだ。ただ日本との違いに気を向けすぎて危険なところへ行き、事件に巻き込まれたりしたらシャレにならないので、そこはビギナーとして安全そうな国を選んだ。それでも色々調べてみるとやはり日本と比べれば危険なようで、ちゃんと対策をする必要がある。様々なトラブルの事例を見ると参考になることは多いものの、正直なところどれくらい気を張るべきなのかその匙加減がつかめない。トラブルを避けようとするあまり過度に排他的になったり、慎重になったりしては経験の幅を狭めてしまう。この匙加減も今回の旅行を通じて体得したい。

暑い夏

 7月が春夏秋冬のどれに当てはまるかといえば間違いなく夏だ。体感としてもここ一週間の暑さはもの凄い。
 例年少なくとも9月下旬までは暑かった記憶があるので、暑さのピークが夏と呼びうる期間の真ん中に来るとすれば今後一層暑くなる。初夏の頃も暑いとは感じたが屋内や日陰にいれば心地よく過ごすことができ、日向に出て何かをすると汗をかくもののうんざりするほどではなかった。むしろ体温の上昇に伴う高揚感のほうが大きかったような気がする。また初夏の頃には春先に播種した植物が勢い良く育ち、成長の止まっていた樹木が新芽を伸ばすのも気分が良い。

 数年前からバイマックルー(コブミカン)を育てている。これの葉はタイ料理においてスパイスとして使われ、僕もその用途で使うことを想定して苗を買い、育て、何度か料理に用いてみた。しかし中々思うような料理が作れず、レモングラスやカーといった他のフレッシュなハーブやスパイスと組み合わせることが必要だという結論に至り、あまり用いなくなった。
 こういう訳で僕にとってバイマックルーの実用性はほぼ無いのだが、それでも大量の新芽を出し、それが数日のうちに立派な葉をつけた枝に成長するのを見ると嬉しくなる。昨年までは自覚していなかったことだが、収穫を目的とした栽培でなくとも自分の手をかけた植物が大きくなっていくのを見るのは精神衛生上プラスの効果がある。
 ただその喜びも猛烈な暑さには敵わない。初夏の頃には「植物も成長しているし自分も頑張るぞ」というような、改めて書くと多少アホっぽい感じもするが、そういうポジティブな関係を植物との間に築いていた。

 最近はもう本当に暑い。雨もほとんどなく日が落ちるまでずっと単調に暑い。睡眠の質が落ちている感じがするし、日中の活力も低く、怠ける時間が増えている。窓に目を向けると、窓の外側の落下防止柵にかけたパクチーとバジルの鉢が見える。日光を浴びながら微風に揺れているその様子はかつてなら「今まさに光合成しているのだ」という感慨とともに生命力の象徴として目に映り、喜びをもたらしたのかもしれない。しかし今感じるのは「植物でさえ光合成しているのに自分は何をだらだらしているのだ」という卑屈な感情で、改めて暑さの威力は侮れない。

鴨川石垣の白い花

 昨日京都駅付近へ行く予定があった。22時頃に用事が終わり、帰宅しようと京阪の七条駅へと向かった。駅に向かう道中であることを考えていて、駅に着いたところでもう少し考えてみたい気分になり、電車に乗るのをやめて鴨川の河川敷を北へ向かって歩くことにした。
 歩いていると不意に花のいい香りがした。河川敷は通路の片側が川へと下る斜面、もう片側が石垣になっている。石垣に寄ってみると壁面はこんもりと植物に覆われており、それが花をつけている。花の匂いを嗅いでみるとやはりいい香りがした。この香りは僕が心の中で「キンモクセイの香り」と呼んでいるものだが、実際にキンモクセイの香りなのかは知らない。何故このような曖昧な認識なのかというと、トイレの芳香剤の香りとしてキンモクセイの香りがよく用いられるという話を聞いたことがあり、また自宅の近所にある木に咲く花の香りが芳香剤と同種の香りを放っていたため、その木がキンモクセイだと推測してその香りを「キンモクセイの香り」と呼んでいるからだ。
 話はずれるがこの手の推測で僕は一度ミスをしたことがある。ある時に人から土産としてあんこ入りの平ぺったい餅をもらったことがあった。僕は当時信玄餅を名前だけ知っているという状況で、もらった餅が今までに見たことの無い餅だったものだから、20年以上生きてきて新規に出会う餅はもう信玄餅ぐらいしかないだろうと考え、「もしかして信玄餅ですか」と口に出したところ他の人から「どう見ても違うでしょ」という指摘を受けた。

 香りの発生源を確認したあと、再び歩きはじめる。改めて見ると石垣の表面は断続的に例の植物で覆われている。その後歩きながら何度か石垣へ寄って匂いを嗅いでみたのだが、それほど香りを感じなかった。ともすれば自分の思い込みかもしれないと感じるほど香りは弱かった。何故これほどまでに差があるのか不思議に思い、少し考えたが分からないまま自宅の近所まで着いたので鴨川を離れた。

 今日の明るいうちに改めて匂いの差を調べに鴨川へと行った。今回は昨日とは逆に京都駅の方へ南下していく。三条大橋を過ぎたあたりから例の植物が現れる。例の植物には花が咲いているものと咲いていないものがあった。しかし花があっても必ずしも良い香りがするわけでは無く、花によって香りが強かったり弱かったりした。ほとんどのものは微かに香りがあるか若しくは気のせいかというレベル。昨日は気付かなかったが、塊ごとに大きく2種類の見た目をもつ。1つは葉の全体が緑色のもので、もう1つは葉の一部分が白くなっているもの。これらは塊ごとに一貫している。つまり全体が緑色の葉と一部が白くなっている葉は1つの塊の中で混在していない。しかしこの差異も香りの有無を決定するものではなかった。
 結局分からずじまい。最も匂いが強かったのは四条大橋を少し南に行ったところにある塊で、そこは最も花の密度が高く、葉よりも花の割合の方が大きく見えるほどだった。他の場所では鼻を寄せて嗅がないと分からなかったり、せいぜい風に乗った香りを微かに感じるという程度なのに対し、この場所は近辺にいるだけで濃厚な香りを感じた。

 先ほどキンモクセイの画像を検索してみたところ、自宅の近所にある木はキンモクセイでは無く、鴨川にあるのもキンモクセイでは無かった。そもそもキンモクセイは秋に開花するらしい。ただカレーリーフの花も同種の香りを放っていたような気がするので、花の香りとしてはよくあるものなのかもしれず、そうだとすれば例の植物の香りがキンモクセイの香りである可能性はまだある。
 植物の香りというといつも思い出すのは前に高知へ観光へ行ったとき、足摺岬へ向かうバスに乗り込んできたその地域の住民が持っていた樹木の枝の香りのことだ。今やどういう香りか思い出せないけれど嗅いだことの無いタイプの良い香りだった。それを見たのは8月中旬で乗り込んでくる乗客の何人かが同種の枝を新聞紙にくるんだ状態で持っていたため、少なくともその地域ではポピュラーな樹木なのだろう。樹木の名前を尋ねようかと思ったけれど、踏ん切りがつかず聞かずにしまった。今でも気になる。

追記

 以上の内容を書く前日にアマゾンのマーケットプレイスNHK出版の『趣味の園芸』のあるバックナンバーを注文していた。上の内容を書いた2日後に届き、パラパラとめくっているとまさに鴨川で見た花の写真が載っていた。ジャスミンだった。最近カレーリーフの花が咲いたので嗅いでみたが、ジャスミンの香りからは遠からず、しかし近からずという感じ。

 鴨川に花を見に行った日は蒸し暑い日で、何か飲み物を携えて鴨川沿いを歩こうと、川へ向かう道中でセブンに立ち寄りプライベートブランドジャスミンティーを買い、飲みながら歩いていた。しかし花とお茶との香りの類似はほとんど感じなかった。

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リアルじゃない

 少し前にどこかのニュースサイトでインスタグラムで強い影響力を持つという、確かGENKINGという名前(アカウント名?)の人に対するインタビュー記事を読んだ。この人のことは全然知らなかったし、何故この記事を読んだかも覚えていない。多分暇だっただけで特に理由はない。その記事でGENKINGは「今の若者は例えば気になる服があってもgoogleでは調べない。SEO対策をしたアフィサイトが出て来るだけで、本当の使用者の声は出てこないから。リアルじゃない。インスタだとその服を私服として着てるモデルの写真を見られる。写真だからごまかしがきかないし、実際に着ている人の声が聞ける」という感じのことを言っていた気がする。僕はSNS全般をライトにしか使ったことがないため、いまいちGENKINGの主張に実感がわかず、ふーんという感じでGENKINGとの遭遇はただ薄い印象を残して終わった。
 先ほど自室でブラウジングしていると突然ブーンという羽音がした。見ると頭上の照明の周りに一匹の虫が飛んでいる。ぱっと見た限りでは何の虫かは分からない。飛行の際の重量感からしてカナブンとかそういう感じの虫だとは思うが確証はない。どこかに留まるのを待っていると降下してきた。蜂だったらやばいと思い咄嗟にその場から逃げる。その間に虫はどこかに留まり、見失ってしまった。とりあえず武器になるものを探す。他の部屋にキンチョールがあるので取りに行こうかと思ったが、その間に虫に移動されると発見が難しくなる。現状でも見失っているとはいえ存在しうる範囲はかなり制限できている。また虫を殺すといったら殺虫剤と安易に考えてしまったが、実際のところ固いもので潰すほうが確実だ。キンチョールでは瞬殺できず、逃げられたり反撃にあう可能性がある。と、ここまで考えたところで不意に「キンチョールはリアルじゃない。」というフレーズが浮かび、なかなか悪くないなという印象。GENKINGさんありがとう。
 近くにあったティッシュ箱をもって虫のいそうな場所をのぞき込むと窓際に留まっているのを発見した。カメムシだった。ティッシュ箱の底を押し付け窓へとプレスするとカメムシは死んだ。

ある松屋で

 昨日のこと。午前に大学へ行き、昼からバイトに行って、夕方に家へ帰ったらすっかり疲れてしまった。眠さと疲れが共にあり、コーヒーを飲むなどして目を覚ましたところで体力がもたない感じがしたので着替えてベッドへ寝転がった。本を読んでいると自然と眠りに落ちた。
 目を覚ますと20時頃。食材が無く、相変わらず疲労感があるので夕飯は外でとることにする。椅子に座ってどこで食べようか考えていると、気づけば半分眠ったような状態になっていた。気を取り直してもう一度考え始めるが、僕の自宅の近辺には良い飲食店が無いのでなかなか決まらない。少し自転車を走らせれば選択肢はかなり広がるものの疲れているのでそれは避けたい。決めかねているうちにどんどんと億劫さや怠さが強まり、次第に食事に関係のない日頃の細々とした憂鬱な出来事が頭に浮かぶようになり精神が下降していくのを感じた。これはまずいと思い、ひとまず頭の中の諸々を振り払い着替えて外へ出た。外へ向かう途中、松屋のごろごろチキンカレーのことを思い出した。前から美味いという評判は聞いていたがなんだかんだで食べ逃してきた。5月初頭で一旦終了するはずなので、この機に食べに行こうかと思ったが最寄りの松屋はそこそこ遠いのでパス。とりあえず当てもなく歩きはじめる。
 外の空気を吸うとさっきまでの憂鬱さが少し軽くなった。歩きながら何故こんなに気力が無いのかを考えた。もちろん今日は普段より忙しく単に疲れているというのはあるが、実のところここ数日気分が優れない。原因として思い当たるのは最近友人とあまり関わってない、バイトが増えた、学振の書類を書くのが大変などいくつかある。他にも将来に対する漠然とした不安感や、天候、運動不足も関係しているかもしれない。いずれにせよ明確に原因を特定できるわけでも無いし、要因が分かったところでどうこうできるわけでもない。こういうときは走って高揚感を得たり、温泉に入ってリラックスしたりして気を紛らわせるのが良いような気がするが靴も服も走るには少し厳しい。こんなことをもやもや考えながら歩いていると、自宅から遠ざかる方向に30分ほど歩き続けていた。帰りのことを考えるとそろそろ店を決めたい。しばらくして王将を見つける。ちょっと迷ったが決定打に欠けるため、ひとまず保留にし、もう少し歩いて何もなかったらここにすることにした。それですこし行くと松屋が視界に現れた。思わず心の中で「待ってたよ。」と呟いた。
 ごろごろチキンカレーを注文し席に着く。客は僕を含め3人で全員1人で来ている。すぐに1人は退店した。もう1人の客と店員は知り合いらしく親しげに会話をしている。雰囲気的に大学の友人といったところだろう。カレーを待っている間に5人組の客が入ってきた。言葉の感じからして恐らく全員中国人。うち2人は4、5歳くらいの子供で入店するなり大きな声を出してちょろちょろと動き回る。親の1人は券売機を操作しているがなかなか注文が終わらない。見たところ困っている様子ではなく、単にゆっくりと選んでいるという感じ。ときおり券売機の方を向いたまま大声でなにかを喋るがそれが独り言なのか他の人に対して発声しているのかは分からない。
 しばらくしてカレーが来た。結構美味しい。松屋のカレーは以前食べた際、カルダモンの香りとコリアンダー系のヒリヒリとする感じが強いという印象であまり好みでは無かったため長らく食べていなかった。しかし改めて食べるとそんなに尖った感じはなく美味しい。チキンは本当にごろごろ入っていて食べ応えがある。ただぐにゅぐにゅとした食感が強いのは少し気になった。僕がカレーを食べ始めても依然として件の客は券売機を操作し続けており、時折大きな声を出す。結局10分近く操作していたが、その間店員は特に気に留める様子もなく客と喋っていた。なんとも雑然とした雰囲気だが、店員はちゃんと仕事をしているし、券売機の客も後ろに人が待っているわけでも無い。つまり特段誰にも迷惑をかけておらず各々が自由に振る舞っている。これを見ているとカレーが思いのほか美味かったのもあり安らかな気持ちになった。食べ終えて店を出るころには憂鬱な気分はほぼ無くなり、落ち着いた気分で淡々と歩いて帰った。

フードコートの呼出機械

 昨日、ある複合型商業施設のフードコートで昼食をとった。食べたのはリンガーハットの野菜たっぷりちゃんぽんミドル+餃子。そこのリンガーハットのシステムは店頭で注文するとスマホぐらいのサイズの機械(以下、「呼出機械」とする)が渡され、料理が出来上がると通知が来る。そうしたら店頭まで行き、呼出機械と引き換えに料理を受け取るという仕組みになっている。標準的なフードコートのシステムだと思う。

 注文を済ませ、セルフサービスの水を汲み、空いている席に座った。机に呼出機械を置き通知を待つ。僕の記憶ではこの機械の通知はランプの点滅+バイブレーション+電子音の3つの形で同時に来る。このことを思い出すと「通知の音に驚いてしまうかもしれない」という不安が芽生えてきた。机の上においた機械が振動する音と電子音は中々に鋭い。不意を突かれれば身体をビクッとさせてしまうのは避けられないし、驚いた拍子に脚の筋肉が収縮し膝で机の裏を蹴る可能性もある。最悪なのは後方に飛びのくような驚き方をした場合で、このときには椅子ごと後ろに倒れるという酷い有様になる。
 しかし驚くのを防ごうにも術がない。腕組をしながら机の上の機械を見つめていると、もういつ鳴っても驚いてしまうような気がした。鳩尾の奥のところにずっと力が入っているような落ち着かない感じがした。このままではいけないと思い、視線を上げて他の事を考えようとするがすぐに機械へと意識が戻ってしまう。いつもは5分ほどで通知が来るのに今日はなかなか来ない。時間が過ぎるほどに次の一瞬に通知が来る可能性は高まるため、緊張感も高まっていく。
 通知が来た。音も振動もなく赤いランプが2度点滅して消えた。幸いにも音を伴わなかったため驚かずに済んだ。しかし通知の形式がいつもと違う。気がする。確証はないが以前は音が鳴っていたはず。また音が僕の記憶違いだったとしても、通知が2度の点滅のみというのはおかしな感じがする。見逃したら終わりだからだ。つまり何らかのイレギュラーが生じていることが推測できる。本来鳴るはずの音が何らかの故障で鳴らなくなっている可能性が高い気がするが、故障によって無関係な点滅が生じた可能性もある。どうしようかと逡巡するうち再び機械が点滅を始めた。さすがにこれは料理完成の通知だと考え店頭へと向かう。向かう途中、店頭に僕の注文した料理が用意されているのを見つけ、やっと完全に安心し無事料理を受け取った。