鴨川石垣の白い花

 昨日京都駅付近へ行く予定があった。22時頃に用事が終わり、京阪の七条駅から電車に乗って帰ろうと駅まで歩いた。駅に向かう道中であることを考えていて、駅に着いたところでもう少し考えてみたい気分になり、電車に乗るのをやめて鴨川の河川敷を北へ向かって歩くことにした。
 歩いていると不意に花のいい香りがした。河川敷は通路の片側が川沿いの斜面、もう片側が石垣になっている。石垣に寄ってみると壁面はこんもりと植物に覆われており、それが花をつけている。花の匂いを嗅いでみるとやはりいい香りがした。この香りは僕が心の中で「キンモクセイの香り」と呼んでいるものだが、実際にキンモクセイの香りなのかは知らない。何故このような事態になっているかと言うと、トイレの芳香剤の香りとしてキンモクセイの香りがよく用いられるという話を聞いたことがあり、また自宅の近所にある木の花の香りが芳香剤と同種の香りを放っていたため、その木がキンモクセイだと推測してその香りを「キンモクセイの香り」と呼んでいるからだ。
 話はずれるがこの手の推測で僕は一度ミスをしたことがある。ある時に人から土産としてあんこ入りの平ぺったい餅をもらったことがあった。僕は当時信玄餅を名前だけ知っているという状況で、もらった餅が今までに見たことの無い餅だったものだから、20年以上生きてきて新規に出会う餅はもう信玄餅ぐらいしかないだろうと考え、「もしかして信玄餅ですか」と口に出したところ他の人から「どう見ても違うでしょ」という指摘を受けてしまった。

 香りの発生源を確認したあと、再び歩きはじめる。改めて見ると石垣の表面は断続的に例の植物で覆われている。その後歩きながら何度か石垣へ寄って匂いを嗅いでみたのだが、それほど香りを感じなかった。ともすれば自分の思い込みかもしれないと感じるほどの香りの弱さだった。何故これほどまでに差があるのか不思議に思い、少し考えたが分からないまま自宅の近所まで着いたので鴨川を離れた。

 今日の明るいうちに改めて匂いの差を調べに鴨川へと行った。今回は昨日とは逆に京都駅の方へ南下していく。三条大橋を過ぎたあたりから例の植物が現れる。例の植物には花が咲いているものと咲いていないものがあった。しかし花があっても必ずしも良い香りがするわけでは無く、花によって香りが強かったり弱かったりした。ほとんどのものは微かに香りがあるか若しくは気のせいかというレベル。また昨日は気付かなかったが、塊ごとに大きく2種類の見た目をもつ。1つは葉の全体が緑色のもので、もう1つは葉の一部分が白くなっているもの。これらは塊ごとに一貫している。つまり全体が緑色の葉と一部が白くなっている葉は1つの塊の中で混在していない。しかしこの差異も香りの有無を決定するものでは無かった。
 結局分からずじまい。最も匂いが強かったのは四条大橋を少し南に行ったところにある塊で、そこは最も花の密度が高く、葉よりも花の割合の方が大きく見えるほど。他の場所では鼻を寄せて嗅がないと分からなかったり、せいぜい風に乗った香りを微かに感じるという程度なのに対し、この場所は近辺にいるだけで濃厚な香りを感じた。

 先ほどキンモクセイの画像を検索してみたところ、自宅の近所にある木はキンモクセイでは無く、鴨川にあるのもキンモクセイでは無かった。そもそもキンモクセイは秋に開花するらしい。ただカレーリーフの花も同種の香りを放っていたような気がするので、花の香りとしてはよくあるものなのかもしれず、そうだとすれば例の植物の香りがキンモクセイの香りである可能性はまだある。
 植物の香りというといつも思い出すのは前に高知へ観光へ行ったとき、足摺岬へ向かうバスに乗り込んできたその地域の住民が持っていた樹木の枝の香りのこと。今やどういう香りか思い出せないけれど嗅いだことの無いタイプの良い香りだった。それを見たのは8月中旬で乗り込んでくる乗客の何人かが同種の枝を新聞紙にくるんだ状態で持っていたため、少なくともその地域ではポピュラーな樹木なのだろう。樹木の名前を尋ねようかと思ったけれど、踏ん切りがつかず聞かずにしまった。今でも気になる。
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リアルじゃない

 少し前にどこかのニュースサイトでインスタグラムで強い影響力を持つという、確かGENKINGという名前(アカウント名?)の人に対するインタビュー記事を読んだ。この人のことは全然知らなかったし、何故この記事を読んだかも覚えていない。多分暇だっただけで特に理由はない。その記事でGENKINGは「今の若者は例えば気になる服があってもgoogleでは調べない。SEO対策をしたアフィサイトが出て来るだけで、本当の使用者の声は出てこないから。リアルじゃない。インスタだとその服を私服として着てるモデルの写真を見られる。写真だからごまかしがきかないし、実際に着ている人の声が聞ける」という感じのことを言っていた気がする。僕はSNS全般をライトにしか使ったことがないため、いまいちGENKINGの主張に実感がわかず、ふーんという感じでGENKINGとの遭遇はただ薄い印象を残して終わった。
 先ほど自室でブラウジングしていると突然ブーンという羽音がした。見ると頭上の照明の周りに一匹の虫が飛んでいる。ぱっと見た限りでは何の虫かは分からない。飛行の際の重量感からしてカナブンとかそういう感じの虫だとは思うが確証はない。どこかに留まるのを待っていると降下してきた。蜂だったらやばいと思い咄嗟にその場から逃げる。その間に虫はどこかに留まり、見失ってしまった。とりあえず武器になるものを探す。他の部屋にキンチョールがあるので取りに行こうかと思ったが、その間に虫に移動されると発見が難しくなる。現状でも見失っているとはいえ存在しうる範囲はかなり制限できている。また虫を殺すといったら殺虫剤と安易に考えてしまったが、実際のところ固いもので潰すほうが確実だ。キンチョールでは瞬殺できず、逃げられたり反撃にあう可能性がある。と、ここまで考えたところで不意に「キンチョールはリアルじゃない。」というフレーズが浮かび、なかなか悪くないなという印象。GENKINGさんありがとう。
 近くにあったティッシュ箱をもって虫のいそうな場所をのぞき込むと窓際に留まっているのを発見した。カメムシだった。ティッシュ箱の底を押し付け窓へとプレスするとカメムシは死んだ。

ある松屋で

 昨日のこと。午前に大学へ行き、昼からバイトに行って、夕方に家へ帰ったらすっかり疲れてしまった。眠さと疲れが共にあり、コーヒーを飲むなどして目を覚ましたところで体力がもたない感じがしたので着替えてベッドへ寝転がった。本を読んでいると自然と眠りに落ちた。
 目を覚ますと20時頃。食材が無く、相変わらず疲労感があるので夕飯は外でとることにする。椅子に座ってどこで食べようか考えていると、気づけば半分眠ったような状態になっていた。気を取り直してもう一度考え始めるが、僕の自宅の近辺には良い飲食店が無いのでなかなか決まらない。少し自転車を走らせれば選択肢はかなり広がるものの疲れているのでそれは避けたい。決めかねているうちにどんどんと億劫さや怠さが強まり、次第に食事に関係のない日頃の細々とした憂鬱な出来事が頭に浮かぶようになり精神が下降していくのを感じた。これはまずいと思い、ひとまず頭の中の諸々を振り払い着替えて外へ出た。外へ向かう途中、松屋のごろごろチキンカレーのことを思い出した。前から美味いという評判は聞いていたがなんだかんだで食べ逃してきた。5月初頭で一旦終了するはずなので、この機に食べに行こうかと思ったが最寄りの松屋はそこそこ遠いのでパス。とりあえず当てもなく歩きはじめる。
 外の空気を吸うとさっきまでの憂鬱さが少し軽くなった。歩きながら何故こんなに気力が無いのかを考えた。もちろん今日は普段より忙しく単に疲れているというのはあるが、実のところここ数日気分が優れない。原因として思い当たるのは最近友人とあまり関わってない、バイトが増えた、学振の書類を書くのが大変などいくつかある。他にも将来に対する漠然とした不安感や、天候、運動不足も関係しているかもしれない。いずれにせよ明確に原因を特定できるわけでも無いし、要因が分かったところでどうこうできるわけでもない。こういうときは走って高揚感を得たり、温泉に入ってリラックスしたりして気を紛らわせるのが良いような気がするが靴も服も走るには少し厳しい。こんなことをもやもや考えながら歩いていると、自宅から遠ざかる方向に30分ほど歩き続けていた。帰りのことを考えるとそろそろ店を決めたい。しばらくして王将を見つける。ちょっと迷ったが決定打に欠けるため、ひとまず保留にし、もう少し歩いて何もなかったらここにすることにした。それですこし行くと松屋が視界に現れた。思わず心の中で「待ってたよ。」と呟いた。
 ごろごろチキンカレーを注文し席に着く。客は僕を含め3人で全員1人で来ている。すぐに1人は退店した。もう1人の客と店員は知り合いらしく親しげに会話をしている。雰囲気的に大学の友人といったところだろう。カレーを待っている間に5人組の客が入ってきた。言葉の感じからして恐らく全員中国人。うち2人は4、5歳くらいの子供で入店するなり大きな声を出してちょろちょろと動き回る。親の1人は券売機を操作しているがなかなか注文が終わらない。見たところ困っている様子ではなく、単にゆっくりと選んでいるという感じ。ときおり券売機の方を向いたまま大声でなにかを喋るがそれが独り言なのか他の人に対して発声しているのかは分からない。
 しばらくしてカレーが来た。結構美味しい。松屋のカレーは以前食べた際、カルダモンの香りとコリアンダー系のヒリヒリとする感じが強いという印象であまり好みでは無かったため長らく食べていなかった。しかし改めて食べるとそんなに尖った感じはなく美味しい。チキンは本当にごろごろ入っていて食べ応えがある。ただぐにゅぐにゅとした食感が強いのは少し気になった。僕がカレーを食べ始めても依然として件の客は券売機を操作し続けており、時折大きな声を出す。結局10分近く操作していたが、その間店員は特に気に留める様子もなく客と喋っていた。なんとも雑然とした雰囲気だが、店員はちゃんと仕事をしているし、券売機の客も後ろに人が待っているわけでも無い。つまり特段誰にも迷惑をかけておらず各々が自由に振る舞っている。これを見ているとカレーが思いのほか美味かったのもあり安らかな気持ちになった。食べ終えて店を出るころには憂鬱な気分はほぼ無くなり、落ち着いた気分で淡々と歩いて帰った。

フードコートの呼出機械

 昨日、ある複合型商業施設のフードコートで昼食をとった。食べたのはリンガーハットの野菜たっぷりちゃんぽんミドル+餃子。そこのリンガーハットのシステムは店頭で注文するとスマホぐらいのサイズの機械(以下、「呼出機械」とする)が渡され、料理が出来上がると通知が来る。そうしたら店頭まで行き、呼出機械と引き換えに料理を受け取るという仕組みになっている。標準的なフードコートのシステムだと思う。

 注文を済ませ、セルフサービスの水を汲み、空いている席に座った。机に呼出機械を置き通知を待つ。僕の記憶ではこの機械の通知はランプの点滅+バイブレーション+電子音の3つの形で同時に来る。このことを思い出すと「通知の音に驚いてしまうかもしれない」という不安が芽生えてきた。机の上においた機械が振動する音と電子音は中々に鋭い。不意を突かれれば身体をビクッとさせてしまうのは避けられないし、驚いた拍子に脚の筋肉が収縮し膝で机の裏を蹴る可能性もある。最悪なのは後方に飛びのくような驚き方をした場合で、このときには椅子ごと後ろに倒れるという酷い有様になる。
 しかし驚くのを防ごうにも術がない。腕組をしながら机の上の機械を見つめていると、もういつ鳴っても驚いてしまうような気がした。鳩尾の奥のところにずっと力が入っているような落ち着かない感じがした。このままではいけないと思い、視線を上げて他の事を考えようとするがすぐに機械へと意識が戻ってしまう。いつもは5分ほどで通知が来るのに今日はなかなか来ない。時間が過ぎるほどに次の一瞬に通知が来る可能性は高まるため、緊張感も高まっていく。
 通知が来た。音も振動もなく赤いランプが2度点滅して消えた。幸いにも音を伴わなかったため驚かずに済んだ。しかし通知の形式がいつもと違う。気がする。確証はないが以前は音が鳴っていたはず。また音が僕の記憶違いだったとしても、通知が2度の点滅のみというのはおかしな感じがする。見逃したら終わりだからだ。つまり何らかのイレギュラーが生じていることが推測できる。本来鳴るはずの音が何らかの故障で鳴らなくなっている可能性が高い気がするが、故障によって無関係な点滅が生じた可能性もある。どうしようかと逡巡するうち再び機械が点滅を始めた。さすがにこれは料理完成の通知だと考え店頭へと向かう。向かう途中、店頭に僕の注文した料理が用意されているのを見つけ、やっと完全に安心し無事料理を受け取った。

「京都大学がビッグデータの新統計法則を発見、「べき則」の普遍性を解明」というニュースを読んで

(追記:論文をちゃんと読んでみたら感覚的な証明しかなかった。「追記2」に詳しく書いた。ここだけでも読んでほしい。)
(さらに追記:長くなったので冒頭に要約をつけた。)

要約
 この記事ではニュース記事「京都大学がビッグデータの新統計法則を発見、「べき則」の普遍性を解明 | 大学ジャーナルオンライン」についての解説を行った。このニュース記事は Journal of the Physical Society of Japanに掲載されたMasaru Shintani, Ken Umeno両氏(梅野健氏は京都大学の教授)による論文「Super Generalized Central Limit Theorem —Limit Distributions for Sums of Non-identical Random Variables with Power Laws—」の内容を紹介する記事だ。僕は記事タイトルの「新統計法則」という言葉に興味を惹かれ、ニュースの元ネタであるMasaru Shintani, Ken Umenoによる論文を読んだ。この論文は大きく2つの部分からなり、1つは数学的に定理を証明するパート、もう1つは得られた結果を数値シミュレーションするパートだ。僕は後者については知識がないので前者に対する評価のみを行った。
 結論としては、「この論文の主定理に当たる命題は証明されておらず、ほぼ無関係かつ自明な命題の証明のみを行っている。当然数学的に新規性のあるアイデアはない」というものになる。

本文
 さっきはてなのトップを見たら次の記事が目についた。
京都大学がビッグデータの新統計法則を発見、「べき則」の普遍性を解明 | 大学ジャーナルオンライン

 「新統計法則」とは魅力的な響きだ。一方で「「べき則」の普遍性を解明」という言葉には少し首をかしげたくなる。「べき則」はここでは安定分布の意味で用いられていると思うが、安定分布が普遍的な対象だというのは確率論を知っている人からしたら当たり前のことだからだ。どういう意味で普遍的かと言うと、独立同分布の確率変数の和を適切なスケールで極限をとったときの収束先は必ず安定になるという意味でだ。
 ただ今回の記事には、

異なるべき分布を個々に持つ独立な確率変数の和という統計モデルを定式化した。その上で、データの数Nを無限にする極限において、レビの安定分布に収束するという極限定理を導出した。

とあり、独立同分布の和とは限らない場合に証明していることが分かる。これを読んで第一に尋ねるべきは「どのような仮定の下で?」ということだ。
 まず仮定なしには成り立たないことは明らかだ。例えば足していく確率変数の分布の裾の減衰がどんどん遅くなっていくとすると適切なスケールをとれず、そのため非自明な極限に収束させることが不可能になる。(追記:ちゃんと計算したら収束する例が普通に作れたため、これは嘘です。すみません。ただし「裾の減衰のオーダーが漸近的に x^{-1} のオーダーに近づく」場合にはやはり収束しません。些か自明な反例ではありますが。)つまり裾の減衰をコントロールする何らかの条件は必要だろう。例えば非独立同分布な確率変数の和に関する極限定理でおそらく最も知名度の高いリンデベルグ中心極限定理に現れるリンデベルグ条件は裾の減衰に非常に強い制限を課している。

 前置きはこれくらいにして当該の論文では何を証明したのかを見ることにする。論文はオープンアクセスではないようだがプレプリントarXivで読める。
[1702.02826] Super Generalized Central Limit Theorem: Limit distributions for sums of non-identical random variables with power-laws

 先に断っておくと僕はこの論文をちゃんとは読んでいない。理由は大きくは面倒臭いというものだが、もっとちゃんと言うと書き方が数学のものとは違うため読みにくいという理由だ。だから誤読の可能性は十分にあることを理解しておいてほしい。僕はarXivの方ではなくジャーナルに掲載されている方を読んだが、誰でもアクセスできるわけでは無いことを考慮してarXiv版の方に準拠して話を進める。

 この論文のMain Theoremにあたる命題の前提条件は2ページ左下のあたりの(Condition1)、(Condition2)だ。(Condition1)は C^+, C^- という2つの確率変数がそれぞれ正値、負値をとり期待値有限という条件だ。 C^+, C^- が何かはこの先で分かる。
 (Condition2)が大事で、和をとる確率変数 X_i の確率密度 f_i の裾の減衰を規定していて、大きくは正側、負側それぞれの減衰が x^{-(α+1)} のスピードであるという条件だ。ここで注意しなくてはならないのは α は α_i ではなく単に α だということだ(そしてもちろんこのαが収束先の安定分布の安定パラメータとなる)。つまり添え字i に応じて減衰のスピードが異なるわけでは無い。その意味でニュースの文面の「異なるべき分布を個々に持つ独立な確率変数の和」というのは多少misleadingな感じがする。ただし異なるべき分布というのは本当だ。分布に制限がついているのは裾の振舞いだけで、小さな値についてはそれぞれ異なっても良い。また裾の減衰の速度は決まっているが、 f_i(x) ~ c_{+i} x^{-(α+1)} (x → ∞)とあるように c_{+i} はそれぞれ異なってよいし、実は c_{+i} というのは先ほど書いた C^+ の分布に従うようにとられている。つまり裾の減衰の定数倍部分がランダマイズされている(ここで C^+ も i に依存していないことを注意しておく。つまりランダマイズの仕方は i によって変わらない。また C^+ の期待値が有限という条件から C^+ の分布の減衰がある程度規定されることも注意しておく)。

 少しややこしくなってきたがまとめると、ニュースの文面にある「異なるべき分布を個々に持つ独立な確率変数の和」というのは少し誤解を招く言い方で、正確には「『裾の減衰のオーダーは確率変数ごとに共通だが、裾の振舞いは定数倍程度異なり、更にその定数は独立同分布な確率変数により生成される』独立な確率変数の和」というものだ。

 こう書いてあれば、「確かに成り立ってもおかしくないな」という感じの主張になる。「新統計法則」というよりは古典的な結果を一定の仮定の下で拡張したという感じがする。ただ全く自明な結果ではないように見える。それぞれの確率変数の漸近挙動を仮定しているとはいえ、どのくらい大きく x をとれば f_i(x) ~ c_{+i} x^{-(α+1)} という近似ができるかを仮定していない。つまり添え字に関して一様な近似を仮定しているわけでは無い(もしかしたらしているのかもしれないが)。また C^+ のランダマイズがどれくらい効いてくるのかもよく分からない(大数の強法則のおかげで漸近的には定数と見なせそうな気もする)。本当はそこらへんも検討してこの定理がどのくらい非自明かの説明もできるといいのだけれど他の事で忙しいのでこの辺で終わる。

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追記1

ニュースの文面と論文タイトルにある「超一般化中心極限定理」というのは少しどうなんだろうという気がする。僕は知らなかったのだが独立確率変数の和のスケール極限が正規分布以外の安定分布に収束するのを「一般化中心極限定理」と呼ぶことがあるらしい。今回の論文の結果はそれの同分布性を弱めたから「超一般化~」と言っているようだが、この結果は特別な場合に対する一般化で、新たな一般化の方向を決定づけるものでは無いと思う。つまり一般化中心極限定理の変種というのが正しいのではないだろうか。

あと「一般化中心極限定理」は非常に古典的な結果で、確率論入門書の古典的名著であるフェラーの『確率論とその応用』にも載っている。最近の本だと、

ランダムウォーク はじめの一歩: 自然現象の解析を見すえて

ランダムウォーク はじめの一歩: 自然現象の解析を見すえて

にもこの辺のことが詳しく書いてある。この本は少し前に見つけてちょこちょこ読んでいるが、聞いたことの無い話題が色々書いてあって面白い。おすすめ。

追記2
 昨日この記事を書いた後、上で書いた「近似の一様性」無しで証明出来るはずがないと思い、ちょっと注意深く論文を見直してみた。すると

Outline of the proof—Although the following is not mathematically rigorous, we give the following intuitive proof.

とあった。最初に感覚的な説明をして後から厳密な証明をするのかと思い、読み進めたが厳密な証明は無い。最後に数値的な確認はあるようだが。しかしこれだけで「証明がない」と決めつけるのは少し早計だろう。Outlineのアイデアが素晴らしく、あとは細かな部分を埋めるだけならば問題はない。この論文ではどうか。残念だがOutlineに書いてあることはかなり雑で、控えめに見ても証明にはなっていない。アイデアも陳腐そのもの。このアイデアが適用できるように仮定を置き、その仮定を満たす分布のクラスが十分に広い、もしくは重要な例を含むことがいえて初めて研究と呼べるものになるだろう。こんなのは「intuitive」でもなんでもなくて、適当にやっているだけ。何故これでできている風の雰囲気を出しているかが分からないくらい的外れだ。

 どこがおかしいかを説明していく。はてなブログ上でTeXを使うことはできるがものすごく面倒なので、他で作成したpdfのスクショを貼るという原始的な方法をとる。以下のまとめは論文の議論をもとに僕が私的にまとめなおしたもので誤りを含む可能性があることを注意しておく。
f:id:hasamic:20180410194758p:plainf:id:hasamic:20180410194803p:plain
2枚目が多少小さくなってしまったが読めるからよいとしよう。おかしなことをしているのは上の"intuitive proof"の4,5のステップだ。ここさえ認めれば一応証明は通っている。
 まずステップ4を見る。S_Nが収束するかを知りたいのに何故か「S_Nが収束したらS_N'も同じ極限に収束するからS_N'の極限を考える」という方針をとっている。つまりこの時点でS_Nの収束を示すことは放棄している。また普通に考えれば分かることだが、コピーしたものの和を有限個とることで元のものより収束を示すのが簡単になる訳がない。また「S_N'も同じ極限に収束する」というのもかなり怪しく、少なくともMよりもよっぽど早くNを無限にもっていかなくてはならないだろう。
 しかしステップ5では驚くべきことにM→∞、N→∞の順に極限を考えるという。先にM→∞にするというのは、各X_iが元から無限個のiid確率変数の和、つまり現在の状況下だと安定パラメータαの安定分布だと仮定することとほぼ同義だ。つまりこの証明は本質的に必ずしも同分布でないα安定過程の独立和に関する極限を計算しているだけで、これを計算するのに何も難しい点はない。結局ほぼ自明かつ本筋と無関係なことを示しているに過ぎない。以上が証明に関する指摘になる。

 しかしこれほど適当な議論をしているとは思わなかった。証明の数学的価値は明確に0といっていいだろう。議論の方針からいって確率論に対する基本的な理解が足りていないことが分かる。この論文に意味があるとすれば数値計算の部分になるのだろうが、僕はその方面の見識を全く持っていないのでコメントは控える。ただ1つ注意をしておくと、上の命題の仮定を満たしつつ収束しない確率変数列は容易に作ることができるので、シミュレーションで現象が確認できたとしても、それはシミュレートする確率変数に暗黙に良い条件を持ち込んでいるからで、上の命題がそのままで正しいことの証拠にはならない。

八丁味噌がうまい

 ここ一カ月ほどよく味噌汁を作っている。以前は「一品+ごはん」という形の献立が多く、また一品を作るのに結構手間をかけていたのだが、その時間が惜しくなってきた。それで時間削減かつ十分量の野菜の摂取を目指して色々するうち、冷凍ご飯+汁物+主菜+副菜という形が早く作れるということに気づいた。これはかなりポピュラーな献立の立て方だと思うが、これまで何故か手間をかけて一品料理を作ることばかりしてきたので気づかなかった。
 汁物は大抵味噌汁を作る。出汁をとるのは事前の準備が必要で面倒だと思っていたが、水にいきなり昆布やらかつお節やら干し椎茸やらを入れて加熱しても普通に美味しい出汁が取れるのでそういう風にやっている。時間があるときは丁寧にやるけれども。具はなめこが好みで1回の食事で1パック分全部入れて大量のなめこが入ったものを作っている。これまで味噌は合わせ味噌を使ってきたが、なめこ汁を作ると少し物足りないと思っていた。なめこ汁といえば赤味噌だよなと思いつつも何となく汎用性が高い気がして合わせ味噌を買い続けていた。
 僕の実家は中部地方にあるのだが、先日帰省した。今回帰省するときに赤味噌を買おうと心に決めていた。京都でもスーパーに行けば赤味噌はあるけれども何となく地元で買った方が良いというイメージがあった。それで八丁味噌を買って帰ってきて、昨日なめこ汁を作ったのだがこれが美味かった。今日味噌汁を作るときには合わせと八丁味噌を混ぜて味噌汁を作った。で、食べると美味い。自分が想像していたよりも僕は赤味噌が好きだったらしい。

KINTO UNITEA カップのこと

 先ほどはてなのトップを見ていると以下の記事が目に入った。
katsumakazuyo.hatenablog.com
 コーヒーを日常的に飲むので関心を惹かれ、記事を開いた。内容は特段どうということはなかったが、最後の方のKINTOのカップを気に入って使っているという記述を読み、僕は大いに共感しテンションが上がった。僕もこのグラスを愛用しているからだ。ここ2年ほぼ毎日このカップでコーヒーを飲んでいる。このカップを好んで用いる理由はその容量の大きさにある。僕はコーヒーをある程度たくさん飲みたい。それも美味しいものを。美味しいコーヒーを飲むには直前に淹れることが必要になるが、何度も淹れるのは面倒くさい。それで一回に淹れる量を増やすことになる。で、それを収めるカップが必要になりこのカップを使い始めた。
 このカップにはサイズが3種あり、僕は中間のサイズを用いている。450ml入る。450mlというとほぼペットボトル1本分にあたる。ペットボトル1本分の液体を収めるカップというと海外の土産物のマグカップのようなやたらにでかいものを想像するかもしれないが、見た目の印象はそれほどでもない。今も目の前にカップを置いているがどう見てもそれほどの量が収まるようには見えない。不思議な感じがする。
 アマゾンのレビューを見ると低評価のものの中に「すぐ割れる」という内容のものがいくつもある。僕がこのカップを買うか迷っているとき、これらのレビューを読みかなり不安になったのだが、少なくとも僕の使っているものはそう簡単には割れそうにない。洗っている最中に蛇口にガツンとぶつけたことは2,3回はあるし、高さ20㎝ぐらいからシンクに落としてしまったこともあるし、高さ40㎝ほどから落として金属製の椅子の足にぶつけてしまったこともあるが、割れ・欠けは全くない。むしろ普通のグラスよりよっぽど強いと感じている。

キントー カップ ユニティ ガラス S 8290

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